深草の横取り四十萬

何をつくっているのでしょうか

2011-02-01アスペルガー症候群の公表とそれへの反応

この記事を執筆している深草という男性はアスペルガー症候群(AS)である。なぜそう言えるのかと言えば、深草が専門家である医師にそのような診断を受けたからである。「アスペルガー症候群」が単なる主観的なものなのか、決め事のような社会的なことなのか、脳の構造・仕組みに由来する客観的神経的なものなのかに関係なく、論理的に言って、深草がASの診断を受けたこと以外に「深草がASである」ということは存在しないはずである。

だから、私はASであると言ってよいはずであるし、私は個人的な信条からそういうことを明け透けに語り、オープンにすることにしている。たとえそれが就労支援とはまったく関係ない文脈でもそうしたいと思っているし、今のところ現にそうしている。

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2011-01-18哲学道場高円寺「二元世界」(第二期第06回)

2011年01月16日(日曜日)は深草が世話役を務めるアマチュア哲学討論会の高円寺例会(哲学道場高円寺、市川徹氏主宰)が開催され、私が発表を行ないました。内容としては主宰者の市川氏の哲学的な立場(素朴実在論)を批判するという趣旨でしたが、理解にアラが目立った部分も多かったようです。

下記に当日の口頭発表(白板使用)にて使用した原稿をそのまま掲載致しますが、具体例(インチの例)などが「論旨に無関係である」といった不首尾な点も指摘されました。

非常に大雑把な感想を述べると、まさに市川氏が「素朴」であり、それ故に人類にとって自然だと思っている部分(幾何学で言えば非ユークリッド幾何学に対するユークリッド幾何学)について、私からは「なぜ他でもなくそれが特権的なのか? それは単なる可能な一解釈に過ぎないのではないか?」と言いたくなってしまうというところです(哲学道場高円寺、第一期も合わせて通算37回目にしてまだその程度の認識だというのはお恥ずかしい限りですが……)。

なお他の出席者の感想を引くと、

  • 永井均派異端派にして、どんな相手に対しても必ずマウントポジションを取ろうとする”グレイシー柔術”的立場を採るジェイコブ氏からは「〔市川氏の立場は〕極めて穏当な立場である」。
  • 物理学的相対主義の立場であるduality氏からは「個別科学の知見のまとめ方について〔恐らく「素朴」志向であるが故に〕チグハグな部分が散見される」。
  • 谷口氏からは「素朴実在論という字面から受ける印象とは裏腹に、討論の場における高い強度を持っている」と評価されました。

どんさいの世界観
当日市川氏に用意して頂いたレジメ
哲学道場

反『二元世界』論

深草周(哲学道場世話役)

本稿では市川徹『二元世界』(2010)の内容について批判を行なう。後述の理由により読み難い文章なので、今回は差し当たって「序」を読んで概括的な批判をさせて頂く。

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2010-11-21京都アカデメイアの「公開討論」に行った。

今日(11月21日日曜日)は京都アカデメイアが京大構内で主催する「公開討論」に行った。教室には70〜80名程度の人数が集まり、講壇上に七、八名(途中入れ換わりがあった)のパネラーが座って意見を述べるというかたち。休憩を挟んで3時間半強の話し合いだった。会場との「質疑応答」を期待していたのだが、事前に配布された質問用紙に書いておいて後から回収して選別の上回答といった「パンキョー*1」形式で、私の当初の目的は達成されなかった。話の筋道が大体みえているよーな議論を一方的に聞かされて、私は苦痛だった。

*1:「一般教養(の講義)」の学生語

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2010-10-12永井均『なぜ意識は実在しないのか』の一部要約

永井均氏の本(『なぜ意識は実在しないのか』)の一部(第一日目のみ)について要約を作成した。
ただ議論を追っただけのものではあるが、誤読などあれば御指摘頂きたい。

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2010-09-23同一性と7つの哲学

先日8月19日の哲学討論会(第49回京都哲学道場*1)で私=深草が発表に使用した原稿を挙げておきます。


下記原稿に付いては一部用語(「超越論的」の解釈など)の曖昧さも指摘されましたが、一旦そのまま挙げておきます。大まかな内容としては「哲学の古典的な諸立場を筆者なりに七つにまとめて、その間の論理的な関連を記述。ゲームブックハイパーテキストのように、立場から立場への移り行きの履歴・ログを哲学史として創造・再構成する可能性を示した」というところです*2。あるいは、これらの諸立場をキャラクターとして見立てたり、物語の枠組みのタネに考えてみるのも一興かと思っております。

*1:なお第49回哲学道場は七名参加で、内訳はhiropon(@trevenian)さん、コーゾーさん、@imomushimappuさん、@snooze24さん、めるろ〜さん、TANI_Ro^hei(@Taroupho)さん、深草(@goodmad、発表者)でした(席反時計周り順)。

*2:特に参考文献は明記していませんが、永井均氏の「革命」や山田正男氏の「数学的構造」にやや影響を受けているかと思います。念のために申し上げておけば、これらは大学におけるマトモな哲学の研究からみれば電波・妄想もいいところという類のものですので、飽くまで一トンデモ論考として楽しんで頂ければと思います。もちろんトンデモにムキになって反駁したり対抗するのも一興であります。

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2010-09-15論理パズルの答えから問題をつくる

正直者と嘘つきの論理パズル

論理パズルには多くの種類があるが、ここでは正直者と嘘つきが登場して自分たちのこと(誰が正直者で誰が嘘つきかといった情報)について発言するシンプルなタイプの問題に限定して考えてみることにしたい。

たとえば、次のような問題である。

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2010-09-10 哲学道場に関する報告

質問コーナー

Q:哲学道場ってなに?

A:哲学のカラオケ大会です。ネタ振りに発表担当の方を毎回立ててはいますが、大体もの別れの議論に終わることが多いです。結論も統一せず、時間でバッサリ切るだけです。
http://tetsugakudojo.web.fc2.com/

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2010-07-19第二回奈良哲学道場「四項図式」

本日は第二回奈良哲学道場でした。私が下記のレジュメを用いて発表を行いました。私自身は「恣意的な図式だ」「例外がある」「応用が利かない」といった批判を期待していたのにもかかわらず、「個別の適用の仕方はともかく図式としては割と当たり前で拍子抜け」「結局脱構築じゃん」といった感じの反応を頂いて (´・ω・`)にょろーん

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2010-07-14そのものの世界2

以前の記事「そのものの世界」について、
さかたさんからmixi日記上にて応答を頂きました(以下、抜粋)。

「<私>非持続説」は、「現実の非持続説」といったほうがよかったかもしれません。
「私とは経験そのもののことでしかない」ともいえますが、 むしろ「私は存在しない」というほうがすっきりするからです。
要約してみます。

・経験とは別に経験の主体は存在しないので、
「私は明日は明日の坂田の経験を経験している」というのは間違いです。

・しかし現実の経験とそうでない経験の区別はあります。
今の坂田の経験だけが現実で、過去や未来の坂田の経験は現実ではありません。
しかし「今は明日の坂田の経験は現実ではないが、明日にはそれが現実になる」というのも間違いです。
そもそも現実であるとは誰にとってか。持続する主体は存在しないのですから、あるときのある経験が現実であるのは、そのときのその経験じしんにとってでしかないからです。


私も表現不足で論点がぼやけてしまった感がありますので、
再整理しながら応答してみたいと思います。

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2010-07-09そのものの世界

先日の哲学道場駒込ではマイミクのさかた氏が<私>非持続説というのを発表された。時間的に持続する私という実体は存在せず、また私は他人ではないので、現在の経験のみが<私>であるというものである。<私>は過去の私(経験)および未来の私(経験)と接続しないし、他人とも当然接続しない。
http://www.geocities.jp/dhdjr455/shinokyoufu/sonota.html

下記の表では横軸に過去・現在・未来という時間様相、縦軸にA氏・さかた氏・B氏という三人が採られている。このうち現在の経験に当たるのは●だけだとさかた氏は言う。

■■A坂B
過去○○○
現在○●○
未来○○○

※■は単なる埋め草の記号である。

さかた氏は「大脳分割移植の実験」というのを引合いに出すが、これは上記の○と●との区別の際に「記憶」は役に立たない(指標にならない)というだけのものであろう。

【批判】さかた氏はこのことから現在の経験(中央●)が未来の経験(中央下○)に接続しないことを指摘しているが、「接続しない」というのは或る局面で言えるだけであって、別に「接続する」と言っても何ら構わない。

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2010-06-30預言者論証

この世界は現実なのか、それとも、誰かによって観賞される虚構世界か?

  • 定義1.「登場人物」と呼ばれる存在者は(存在者自身が属する世界を観賞する)観賞者ではない。*1
  • 定義2.或る世界が虚構世界であれば、その世界に含まれる存在者はすべて、登場人物である
  • 定義3.私はこの世界に含まれる存在者である。
  • 仮定.私は観賞者である(または、そうなり得る)
  • 帰結1.虚構世界には観賞者は含まれない(∵定義1および定義2)
  • 帰結2.この世界には観賞者が含まれる(∵定義3および仮定)
  • 帰結3.この世界は虚構世界ではない(∵帰結1および帰結2)

つまり、私がこの世界の観賞者であれば、またはそうなっているときに限り、この世界は虚構世界ではない現実である。私がこの世界を観賞する超越的な立場にいることによって、この世界が現実であることが保証される。

*1:たとえば我々が虚構を観賞するとき、虚構世界の登場人物があたかも我々観賞者に言及するような描写を目にすることがあり得るが、そのような虚構世界の住人たちの言明が我々に対して妥当性を担保されることはない。たとえば、映画の中の登場人物がこちら側=カメラ側を指差して「おい、そこの黄色い帽子のお前!」などと発言しても映画観賞している私が黄色い帽子をかぶっているとは限らないし、映画の中で言う「黄色い帽子」と映画の外部世界の黄色い帽子が同じものかどうかは担保されていない。また、ここで言う「観賞者」という語彙は、観賞される世界に属する存在者(メンバ)に付く述語であって、最初から観賞される対象となる世界の外にいて、対象世界を眺めるような者は排除している。

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【2010-06-15】[日記]大阪の「哲学カフェ」に行きました

先日9日に大阪の中之島で開催された「哲学カフェ」に行きました。
http://www.cafephilo.jp/fes/shima_09_ss.html

哲学カフェ
「「幸せ」ってなに?」
【時間】19:00〜21:00
【定員】50名(先着順、入退場自由)
【進行】三浦隆宏 (摂南大学非常勤講師)
【主催】大阪大学CSCD/アートエリアB1/カフェフィロ

哲学カフェでは、コーヒーを飲みながら、日常生活から科学や芸術まで幅広いテーマについて参加者みんなで議論を楽しみます。6・7月のテーマは「希望をさがす」。今回はその導入として、私たちにとって「幸せ(幸福)」とはどういうものなのか、みんなで話し合いたいと思います。

会場は京阪線なにわ駅の駅構内、改札を出て右手の階段を上ったところのオープンスペースにあり、19:00ちょっと前に行ったところ、既に30名程度の人がプラスチック製の折り畳み椅子に座っていました。私が座った後も人は増えていたようで、80名程度まで膨れ上がっていたとも聴きます。開始前はプロジェクタでスクリーン(あるいは白壁だったか)にフランスの「哲学コレージュ」のインタビューが映っていました。

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