深草の横取り四十萬

何をつくっているのでしょうか

2012-08-27 大阪哲学道場11「意味の生理学」感想

哲学討論会の感想集を暫定アップしておきます。感想は参加者各自から寄せて頂きました。参加者七名。
http://twipla.jp/events/26747

【横山】

「心的な意味の議論が脳などのシステムだけから導けるか」と「システム内の形式的な情報のやりとりだけが本質的な問題なのか」と「一人称的な意味を脳システムから導こうとすることに意義があるか」の三者の議論が意外にからみあってきたので面白かったです。

【ウラサキ】

活発な意見交換が出来て良かったのですが、行動主義と機能主義の違いが依然としてイマイチ良く分かりませんでした。

〔発表者の〕IRONMANさんの立場は御自身では論理的行動主義に最も近いということでしたが、生理学的立場を基準にする以上、結局同一説になるのでは無いでしょうか?

【ただひこ】

やっぱり私には何が問題か理解できなかった。その土壌に乗って話に加わることは可能だけれども、入口のところで躓いてしまっているので、どうも徒労感を持ってしまう。意識の問題については脳科学からの説明で十分ではないかと思う。脳科学者による本を読んでみてもかなり哲学的な内容に踏み込んでいるものが多い。科学的な思考や、実験等の裏付けがある分だけ、私には説得力があるように感じられる。この分野で哲学者の出る幕はないのではないか。(参加してまだ間がないのにえらそうな意見ですいません)

【J.J】
読んでいない、理解していない、見当違いだ、部分的過ぎる等々あると思いますが、失礼します。以下3点。

  • 「わかるということ」は機械のプログラムは判断できない。わかるというのは人間個人だ、お前はわかってないとの言い合いはあるが。
  • 「一人称はない」「主感はない」と言い切って、後で考える。で昨日、「一人称は三人称の局所偏在だ」との置き換えにたどり着く。
  • 唯物論。この手の話で思うのは、なぜ「生命」という言葉が出てこないのか。神経伝達の方法は化学的電気的であるが、その組織をつくったのは維持しているのは生命である。その組織は物とはいえないのでは。死んだら物になるが。

【はじ銀】

出だし、発表者が問題提起をし終える前から突っ込みが入り、そのまま参加者がそれぞれ独自の立場から議論していたように思える。私はじ銀ももちろんその一人である。今回の表題は「意味の生理学」であったが、個人的には「意味」というものを「生理学」的な観点から解明しようという主旨は面白いと思う。しかし、それが可能かどうか。意味を脳の働きに還元出来るかどうかについて、発表者は否定的に考えていたように思えるが、はじ銀としては可能であると思って話をしていた。先に書いたように、独自の立場で話していた。

途中○○主義というものが三つ並び、それぞれの違いについて議論していた場面があったが、そういう語句の定義には余り興味が無いので、個人的には少し退屈だった。議論はやはり個々人の主義主張のぶつかり合いの方が面白い。

反省会の時に話が少し出たが、今回はテキストの選択がまずかったように思う。入門書はとっつきやすいが、その著者自身の主張が入ってこない(若しくは入ってきても後半、MiNDはこちらか)ので、結局旧来からある問題(今回の場合は心身問題)の、しかも問題の設定自体も目新しさの無い、そういう中で話を開始することになる。
それでも話が盛り上がったのは参加者のモチベーションの高さ故か。

深草

この物理的世界を開いている端的な唯一の「意識」の位置づけについては二通りある。それは、物理的世界の外に位置づけるか、もしくは意識の全体が物理的世界の全体と等しいという内在的な位置づけを行うか、の二つである。前者については今回議論されたが、後者についてはまだ議論の余地が残されているというのが今回の感想である。

補足すると、「意識」の位置づけをこのいずれかにしない場合、意識や意味について使われる言葉遣いと物理的・生理的記述について使われる言葉遣いとの間に解消不能な二項対立を生じさせ、記述が免疫不全を起すであろう。言い換えれば、この二項対立から抜け出す方法として対照的な二つの道があるということだ。ひとつの道は「意識」を物理的世界の外、即ち時空間を超越した地点に位置づけ、物理的世界の内部において「意識」は存在しないとするもので、いわゆる唯物論の立場が成立する(唯物論の立場は今回発表者が擁護を試みていた)。他方、もうひとつの道は今回あまり議論されなかったが、意識の全体と物理的世界の全体を同一視して、汎神論に近い立場を取っていくやり方で、こちらの内在的な道の方は二項対立の出口としてまだ未開拓ではないか? と予想している。

【IRONMAN】(大哲主宰、今回の発表担当者)

参考図書のMiNDを読んでない方や、前回参加されていない方にとってはわかりにくい話になっていなかっただろうか? 連続した内容で、かつその回のみの参加でも楽しめる議論にしたいと思っているがなかなか難しい。ただ、途中でMiNDの内容を説明を行なったが、参加者のテンションが一気に下がったのが印象的だった。

一つ気になったのは、「その議論はすでに専門家が行なっている」などの発言や、サールはこう言っているという主張が見受けられ、お勉強会になりつつあるように思える。

素人のトンデモ理論でも、発言者自身の思考であるならば尊重し、聞き手も自身の思考に基づき反論するという哲学道場の理念に反するものであり、そういうやりとりがここのところ増えてきているように思える。

話を膨らます事も期待して参考図書を使っているが、それわ掲載するようにしたのがよくないのかもしれない。上手く活かせたと思えたためしもない。

最後に毎度のことだが自分自身の主張だけだと話が5分くらいで終わってしまうので、これはなんとかしないといけないと思う。