深草の横取り四十萬

何をつくっているのでしょうか

2014-09-07バラバラにやってきたことを「英語・IT・財務」という3つ組みで解釈するとしっくり来たという話。

1.統一性のない経歴

最初にざっくり関心があったこと、やってきたことを書き並べておく。自己紹介、自己分析の事例である。

  1. 子供の頃から「死んだらどうなるのか」「この世界は虚構ではないか(と、どうしてこの世界の内側で考えられるのか)」といった素朴な疑問があった。こうした疑問は他の子供は持たないようだった。宗教や芸術にこういった疑問を持っていってもよかったかもしれないのだが、私は「世の中ではこういうことは「哲学」ということになるらしい」と思い、大学では哲学科に進学してしまった。他県から京都にある大学に来たのだが、京都では読書会などの社会人サークルを通じた出会いがあり、そのなかで周りの人にサポートをしてもらいながら、哲学討論会などを主宰することになった。一応、もう十年あまりも続けてはいるが、哲学に関する知見についてもサークル運営者としても私自身の力不足を感じている。
  2. 私の父は私が中学に入った頃からもう壮年だというのに英語を学び始めた(そして今では普通に話せるらしい。ボロボロの辞書は全部暗記したという)。そして私にも英語の教材をずーっと押し付けてきた。高校の頃に伊藤和夫氏による英文読解の受験参考書を和訳を読んでからじっくり解説を読むところから入っていくことで、どうにかゆっくり読解はできるようになった。今は米国の自己啓発本哲学書の英訳を年に何冊か読める(といっても単語を追う程度だが)程度にはなってきた。
  3. 中学生の頃に父のパソコンでプログラミングの真似事をしていて、中学校の頃は数学の成績もよかったので数理的なことにも興味が持続していた。計算(特に掛け算)は好きだったが、スピードが遅く、高校の受験数学では落ちこぼれた(マシだったのはベクトルと確率で、これは考えれば正答に近づけた)。大学では文系だったが、(1)大学教師を目の当たりにして大学研究者にはなれそうもないしなりたくもないと思ったのと、(2)当時周囲にプログラマーの方が多かったこと、(3)インターネットですべてを調達したいという思いがあり、資格を取ってIT系の会社に就職してしまった(約2年半で逃げ出してしまった)。会社を逃げ出したとは言ってもインターネットから離れられるわけでもないし、技術の進歩はおもしろい。サークル活動などを含めて人間関係のほとんどはネットで調達してしまっているし、今後もその傾向が拡大するだろうと思う。このブログもそのひとつになるわけだ。
  4. 「自分に稼ぎたい」「経済的に自立したい」という思いがあった。個人主義者で自由イデオロギーに信仰があり、家族を含む他人に依存したくなかった。
    1. 経済的なやり取りを思い出すと、小学生の頃に文房具を転売しようとしたり、中学生の頃にまだ実現していなかった金融ビッグバンで可能になるという外貨取引で儲けようと思ったり、自分がプレイしたいゲームソフトを友人に宣伝して買わせたり、文化祭のバザーでタダ同然で買い叩いたりしていた(嫌なガキだなあ)
    2. また、中学生の頃に経済学の入門書を読んで翌日の社会科の授業で需給曲線を描きながら労働市場について解説して先生から「大学教師のようだ」と感嘆されて得意げになったのも興味を加速したかと思う。が、今にして思えば新自由主義・市場主義寄りの本だったと思う(近年の金融危機のときに、著者が懺悔した本が出版されたようだ)
    3. 大学以降では株式投資やFXに手を染めたが、大失敗だった。主因は心理的な弱さ、情緒不安定な部分にあり、それは自分の健康状態や生活全体の不安定さを背景にしていたと解釈している。自己資金の範囲内での失敗だったのがまだ幸いだった。
  5. 上記の点のそれぞれに絡んで来るが、やはり子供の頃から「どう死ぬべきか、どう生きるべきか」という思いがあった。「カッコいい、高潔な、一貫性のある生き方がしたいな」という審美的・自己満足的な面もあるし、「他のヤツを出し抜くにはどうしたらいいんだ? どんな生き方が得なんだ?」という競争的・損得勘定的な面もあるし、「安定したい。安らぎたい。つらい状態を避けたい」という衛生的・事なかれ的な面もある。そういった期待とは裏腹に学校や職場でのコミュニケーションについては考え続けざるを得なかった。だから、哲学や数学のような知的関心とは別立てで当面の問題に対処するために処世術については学び続けてきた。高校生の頃は大学受験参考書を買い漁り(そして勉強のノウハウ本ばかり読んで肝心の勉強をしなかったため志望校には落第)、大学以降では勉強の方法論に加えビジネス書や自己啓発本社会心理学自閉症の診断(社会人になってからの診断である)以降は統計、応用行動分析、最近は政治・法律、片付け、生産管理、経営学会計学に関心が拡がってきた。

大雑把にまとめるとこんな感じだろうか。自分ながらモザイク状だし、個別のことはショボいものばかりである。このブログも誰宛てに書いているかハッキリしない部分もあるので、どこまで書くべきか、書かないべきかわからないというのがある。余談ながら、こうした「自己分析」は就活と結びつけてやらされたりするのでウンザリするイメージを持つ方も多いのかもしれないが、実用的なことと関係なく自分の中の整理整頓としてやるとおもしろかったりすることがある。ただ、私がナルシストだからそう思うのかもしれないが……。

なお、現在は自閉症の診断を受けた後、障害者枠で工場でバイトをする身である。なので、偉そうに書いているようにみえるかもしれないのだが、ネット弁慶なだけで世間的には成功者とは言えないだろう。

2.自分のやって来たことと、「英語・IT・財務」という枠組みとを摺り合わせてみる

こうした自分の人生のちぐはぐさをどう解釈したらいいのか、あるいはどう方向付けていったらいいのか?と思ってきた。「自分探し」という言葉は嫌いだけれども、「自分探し」と言われても仕方がない面があった。

最近、コンサルタントの人たちが「これからは英語・IT・財務を身につけよ」と言っていた(大分前の話で流行遅れと笑われるかもしれない。「三種の神器」なんて言われてましたね)のをふと思い出した。英語・IT・財務を私なりに言い換えると、語学・情報処理・会計である。さらに言い換えると、(1)語学とは異文化理解を含み、(2)情報処理とはプログラミング・計算であり、(3)会計とは計数・統計・戦略に近いものである。私が関心を持って来たことで言うと、

  1. 哲学や語学は異文化理解の一環、
  2. プログラミングの経験(おこがましい気分でいっぱいになる……)やネット中毒、計算好きな部分は情報処理、
  3. 組織や管理、経営・運営・戦略については会計、

にそれぞれ近い感じがしている。少し補足すると、会計が戦略に近いというのは、戦略は資源の配置や流通兵站ロジスティクスを考察して継戦可能性を高めることを含み、それは会計のような数値化して成績表にする技術が不可欠だということである。

課題としては(2)と(3)との違い(共通点はどちらも数値が絡むということだ)をもっとハッキリさせておきたいというのがある。

3.当面の指針として、この3つのエリアで能力を証明するか、スコア測定できるようにしていく

この一週間ばかりは上記のようなまとめ方でしっくり来る気がしている。ではまあ、お前ン中ではそんな風にまとめられるならそれでいいじゃないかということで、それでお前さんどうするね?ということになるのだが、この3つに対応するように能力を収斂させていくと共に、客観的に能力を証明していくのがシンプルでわかりやすいだろうと思う。英語については昔のTOEICのスコア(600点台、まあTOEICのスコアなんて実力とは関係ないという評判もあるけれど)があり、ITについても、昔に基本情報処理技術者を取っておいたというのがある。会計については無資格なので、ショボくてもいいから「最低これだけは知ってますよ」というのを取っておきたいと思っている。

4.自分が知的関心の流れを治水したい、うまく流れる回路をつくってやりたい

今回は3つに分けてみたが、今後「やはり5つにすべきだった」とか「階層関係もどうしても必要だ」といった思いの方が強くなるかもしれない。自閉症の診断以前から感じてはいたが、私は意地やこだわりが強い割には自分のカラダをコントロールするのが下手で「やるべき」と「やりたい」とがなかなか一致しない。やる気や知的関心が皆無というわけではないのだが、その方向が不安定で、なかなか「やるべき」と一致してくれない。「やるべき」の方をやる気や知的関心の方向にやっと合わせてやったかと思うと、今度は知的関心が別の方向に飛んでしまっているという具合なのである。たとえば、「この本を読んだ方がいい!」と思っても、あっさり他の本に浮気してしまうといったようなことだ。とはいえ、私の知的関心がいくら移り気でも長期的に足跡をたどってみれば、限られた個数の方向の間を転換しているに過ぎないはずなので、それに大きく網をかけてしまえば、少しずつ「やるべき」ことのなかに実際に自分が「やりたい、やっちゃう」を収納できるんじゃないかと思っている。今回の3分法もそういう「お片付け」の一種なのだと理解してもらいたく思う。

長文を読んでくださってありがとう。

<文字数3,800字(下2桁切捨)、執筆時間200分、19字/分>。