深草の横取り四十萬

何をつくっているのでしょうか

2012-06-17地球人の不思議

最近、自分が異星人であることに気がつきました。でも、母星がどんな惑星でそこにどんな住民がどのようにどのぐらい暮らしていたのか、僕にはわかりません。もう滅んでしまったのではないか、という予感もあります。

とはいえ、地球でこれまで暮らしてきた経験を元に地球の人たちの不思議な点について何か(地球の言葉で)書き留めておきたいと思っています。今思いつくところを思いつくままに列挙しておくと以下のような感じでしょうか。

1.テレパシー

地球人はテレパシーが使えます。非言語的なサインや相手・場所・時機・状況に対して、とっても敏感です。

2.親近感の持ち方

地球人の間では、お互いに共通の属性が見つけられれば、たとえそれが偶然的、偶有的な共通点であっても親近感を覚えることが多いようです。たとえば、学校で同じ教室、同じクラスであったとか、同じ地域の出身者であるといったことです。これらのことがその個人の本質の形成に関与するとは必ずしも思えないのですが、にもかかわらず、地球人はこれらの共通点を媒介として仲良くすることができるようです。

3.道徳と教育

地球人は「道徳」についてあまり考えません。教育機関や大学などの研究機関では「道徳」について主題的に取り扱うこともあるようですが、産業の現場ではほとんど「道徳」という語彙を使うことがないようです。

4.八つ当たり

地球人には八つ当たりする傾向があるようです。自分の特殊な利害にもとづく主張を素直にエゴイズムの発露であると言わずに、何らかの普遍的な価値に奉仕するものであるように言い立てる傾向があります。

5.言葉に「自然な耐用期限」を付加する習性

地球人は言葉をまるでカタチあるもののように、つまり存在のように取り扱います。というのは、言葉というのは概念を指し示すものであるように最初は思えたのですが、実際には耐用期限のようなものが意識されているらしいからです。カタチあるものは必ず壊れるという言い回しがありますが、モノであれば確かに自然に壊れてしまいます。一方、言葉が指示しているように思える概念にはそういう自然な耐用年数や賞味期限のようなものはないように思えるのですが、実際にはその都度主観的に(あるいは間主観的に)長い時間が経過すると、「あの話はもう流れた」「あの話はまだ生きているの?」といった台詞で意識されるように無効なもの、自然に壊れて機能を失ったものであるかのように考えられています。


まだまだありそうなのですが、今日はこの辺にしておきます。また、僕の狭い観察の中でつかんだことなので、地球人全体に当てはまりそうなこともあれば、その中の特殊な層にのみあてはまることもあるかと思いますが、その辺りは今は別問題として保留しておきます。



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前回記事に続き、地球人の不思議な点について列挙しておきます。

6.二重基準である

地球人の揉め事をみると、大抵は当事者同士の綱引きと当事者たちに介入する第三者との綱引きがあります。どういうわけか、当事者だけで合意して揉め事を解決してよいというわけではなく、組織の上層部にお伺いを立てるといった力学があるようです。こうした面倒さ・煩雑さを反映してか、たいていの決め事や規則は二重基準になっていて、矛盾を許すようです。つまり、「例外」や「特例」と言われるものを認めますし、また、文章にも「ただし」と書いて矛盾をもっともらしく許容できるような言い回しが可能になっています。

7.二種類の言い方

何にでも「よい」言い方と「悪い」言い方とがあるようです。表現される対象に価値があり得るだけでなく、表現の仕方にも一次元的な価値があるようです。
 下記の8番にも関連しますが、「詭弁」と言えば誰もがよくないと思い、「思いやり」「ユーモア」と言えば誰もが許容できるというのは不思議です。

8.「詭弁」を嫌う

「詭弁」という語彙を非難の意味を込めて使う人をよくみかけます。たとえば政治家の発言パターンを分析して「これは詭弁である」と評価する人がいます。一方、僕には詭弁がカタチのない武器(つまり、それ自体では中立的な道具)のようにみえます。ですから、なるほど相手の武器を無効化しようという意図は理解できるのですが、それによって自分の武器まで無効化されたり制限されたりするような非難をするのは不思議に思えます。

9.最適化にこだわる

地球人は一つの理想として、最適化の究極など考えたりするようです。フィクションなどには人類の敵として出てくる宇宙人やマザーコンピュータなどが「宇宙を最適化すると人類は不要」といった乱暴な議論を開陳したりしてくれます。しかし、このような描写はなんというか人類の自意識過剰といった青臭い感じがしてしまいます。特定の目的を決めて、そこに向かって最適化という考え方自体が非常に地球人っぽい発想のような気がするからです。

10.死を恐れない

夏休みの宿題を期日ギリギリになって慌ててやる子供のように、地球人は死を捉えているようです。というよりも、結局死ぬ間際にならないと死について考えようとしたりできないし、そもそも「死について考える」とは何を考えることなのか、言葉では言えてもその内容がよくわかっていないのが大多数のような気がします。僧侶や儀式があるのは、きっとそうしたことについて悩んだり考えたりしなくてもいいようにするためなのでしょうね。

11.イザというときに活躍できるのがカッコいい

臨機応変ができる人、初見の事態・不測の事態に対処できる人は賞賛され、憧憬の念をもたれます。

12.属人性を重んじる

地球人としての教育では「罪を憎んで人を憎まず」とか「個人の責任ではなくチームの責任」とか「発言者より発言内容の是非を問うのが論理的でよい」といったことをよく聞いたり教えられたりしました。ところが、実際の地球人同士の付き合いや仕事のやり方をみると、当然のように仲のよい者同士で集まり、生理的に気に入らない相手には陰口を述べ合い、相手によって露骨に対応を換えるようです。教育に地球人の自己嫌悪(?)が表現されているということなのかもしれないのですが、どちらかといえば属人性を重んじるのが地球人の自然な特徴だと言えそうです。


とりあえず今日はここまで。